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第7表明治前期・鹿角の稲種(明治〓年調べ)

また、これらの種子は八橋植物園における稲

(

)地

(明治〓年「秋田県勧業年報」『秋田県史』第5巻所収

種試験にも供されており、一二年の収穫一覧表

第7

)にはいくつかの鹿角を出所とする稲が記

載されている。当時の稲の品種名すべてではない

が、多種多様の品種が作付されていたことがわか

青森県

る。その名称からみて、津軽や田子(

三戸郡

方から導入されたと思われる品種も含まれている。

一五年に入り勧業談会(

勧業会議

の改称

)と種子交換

会が一本化し、かつ苗木を出品物に加えて、名称も種苗交換会と改められた。

その第一回からの本郡会員を第八表に掲げたが、いずれも新しい時代における鹿角の農事指導者として、地道

な実践を重ね先駆的な役割を果した人たちである。

また鹿角は小郡ながら交換会への出品数と受賞点数で上位を占めることが多く、高い評価を得ていた。例えば

第四回交換会において最優秀の特別賞三点の内二点に鹿角が入っている(

『秋田県種苗交

換会史』明治編

)

〓。

特別賞二位

二戸陸稲・カツラ稲・大白稲

・津軽稲・短角稲・竜紫黍種

鹿角毛馬内高橋嘉六

悪毛陸繻稲・赤紫陸稲・岩手陸稲・土沢

大豆・早手三尺大豆・早手凶作不知大戸

)鹿角大湯山口林司

また第六回交換会では一等入賞者二名のうち、一名は毛馬内中津山富右衛門であった。その後、一等入賞はし

特別賞二位

同三位

同三位(

ばらく絶えていたが、第一六回交換会に一等稲(晩坊主)宮川安保多一郎、第一七回に同じく稲(笠の下)花論