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耕地整理

り、この頃から除草の蟹爪打とともに、次第に普及をみることになった

三年の耕地整理法をうけて、県は翌三四年八月耕地整理設計規則を定めた。鹿角の耕地整理

第9表明治41~大正元年度耕地整理施行状況

一事は他郡よりやや遅れ、四一年度施行予定として基本調査に花輪町柴平附近一、〇〇〇町歩、

設計調査に郡内三ケ地区八〇〇町歩、工事監督に一ケ地区五〇町歩があげられたが、その実施は設計調査の一ケ

地区三九〇町歩にとどまった。四二年度において設計調査一二ケ地区三三町歩、工事監督二ケ地区一七町歩、四

二年度において設計調査四ケ地区七五町歩、工事

監督二ケ地区三三町歩、さらに四四年度において

設計調査五ケ地区一九〇町歩、工事監督七ケ地区

七六町歩の成績を得ている。

鹿角で最初の組織をみたのは、四三年の毛馬内

森崎耕地整理組合(組合長勝又平太郎)と瀬田石

耕地整理区(組合長内藤順吉)で、いずれの工事

も先頭に立って完成に導いたのは立山弟四郎であっ

た。立山は三九年以来毎年種苗交換会談話会員と

して出席し、産米改良についての発言は常に識者

の注目を浴びていた。また夏井の湿田地帯にあっ

て、耕地整理の必要を痛感したのは阿部善之助で