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合は組合員数一〇五名、その区域は毛馬内町・七瀧村、錦木村・柴平村・花輪村にまでおよんでいた。その目的

を、地主小作人間の親善を基とし、農事の改良及び農家経済の発達を図ることにおき、組合費用は当分立山家

の寄附(

四二年一〇五円八二、四三年二九三円四三、

四四年三五二円六八、大正元年四〇二円七一

)とした。また、事業を1、女子農事講習会、2、籾摺臼の伝習

大正三年より根本式

籾摺臼製作使用伝習

、3、改良耕作法実地指導(模範田・種子配付・稲架材補助・模範園・農業教師・女子農〓

視察・特別視察団・蔬菜指導)、4、救荒貯蓄の実施、5、聯合小作米品評会、6、小作人表彰方法などと定め

ている。

従って小作人組合は全く地主側の発想に基ずくものであり、小作人の統制を強めた地主隷属の組織であって、

労働運動的小作人組合とは本質的に異なるものであった。

産業組合

辰商業者の共同化をはかる産業組合法は三三年に制定をみたが、鹿角郡に産業組合結成の動き

かでてくるのは、県農会による積極的な設立指導のあった四〇年代に入ってからである。産業

組合は、弱小の産業者が農工銀行の無抵当貸付を受けるなどの道を開くもので、信用組合・販売組合・購買組合

生産組合などの別があった。

鹿角における産業組合結成の初まりは明らかでないが、明治四一年度『事務報告書・花輪町役場』の勧業の〓

に産業組合の項がおかれ、「産業組合の設立は、農村経済の基礎を定め郷党の美風を涵養するの最良方法なるを

認め本年度に於て極力之れか奨励をなしたり、其成績左の如し」として、無限責任下川原信用販売組合

組合員

二〇名

同一

・同用野目信用組合(

同二

六名

)・同花軒田信用組合

)・同久保田信用組合一

)・同狐平信用組合一

四〇

四名

一名

の既成五組合をあげている。四四年度の同報告書には「其結果大いに視るに足るべき成績を示し、就中下川原乃