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一二戸。蚕病消毒は稚蚕共同飼育組合員全部施行せるため病毒を認めず。
四五年稚蚕共同飼育の結果春蚕五六戸、掃立蛾数三、五二八、収繭高四一石四斗、秋蚕四〇戸、掃立蛾数一、
八四八、収繭高一六石四斗。桑苗植栽数は赤木二、八〇〇本、配布戸数一八戸、魯桑一六、〇〇〇本、配布
戸数六戸、蚕病消毒は全組合員施行のため病毒を認めず。
また養蚕将励のこのような措置は、当然毛馬内町や大湯錦木両村においても同様に行われていた。稚蚕共同飼
育組合は四三年毛馬内にも設けられ、県から教員の派遣を受けている。しかし四四年の毛馬内統計によると、同
町の養蚕飼育戸数四九戸、飼育蛾数一六八枚、数量三八・六四石、価格一、四〇八円五六銭の低い水準にとどまっ
ている(
高橋克三他著『毛馬)
内町誌』大正一〇〓
)。
明治に入っても製糸は胴取りという古い繰糸法によって太糸を繰っていたが、一四年頃から鹿角にも座繰器械
が入ってきたといわれる。つくった繭はすべて製糸し生糸にして売却していたが、四〇年頃から殺蛹繭または生
繭のまま買取る業者が入りこみ、そのほうが手数もかからぬことから、以来自家用とするほかは製糸することが
なくなってきた。従って生糸生産高は勿論のこと、製糸にともなう副産物としての慰斗糸
屑糸の
一種
)や生皮苧も
減少の一途をたどることになった。
真綿(
繭を引きのばし
て作ったわた
)は製糸に適しない玉繭や屑繭から製し自家用としていたため、多くは品質粗悪で商品に
ならなかった。かつその生産量も少なかったため、郡内の需用を満たすには長野方面から常に大量の移入が行わ
れていた(
)
〓
以上『鹿角郡産,
業調査書』より