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である。
を占めた。
二六年三月から七月まで大阪に開催された第五回内国勧業博覧会において、一、二等受
貝の秋田県人一三名のうち鹿角七名、すべてりんご出品者でまさに鹿角りんごが過半数
一等賞横田富蔵
等賞奈良庄兵衛・内田平三郎・兎沢徳蔵・大里良太郎・田村定四郎・村山義和
三等賞佐藤良太郎・佐藤録太郎・田子平太郎・吉田五郎・高瀬慶太郎・豊口木曽弥・村山栄司・佐藤武八郎・高橋宇
平・金沢元祐・関健太郎・倍賞善太郎・木村健蔵・柳田専五郎・米田善次郎・鹿角果樹協〓
ちなみにりんごの他郡入賞者は平鹿郡の三等賞二名のみで、地域的にも鹿角が独占したかの観があった。この
博覧会でほかに郡内の受賞者として、三等賞に「〓悖罐詰・苹果罐詰」高橋半兵衛、「松茸罐詰」和田健次郎が
あげられている。
右のりんご受賞について新聞(
秋田魁新報、三
六・七・三付
は、次のような評を加えている。鹿角りんごが一等二等の名声
を博したことには大いに原因がある。まず地質の磽〓
石の多
い〓地
)なことがかえってりんごやまるめろの栽培に適
し、殊に香気の馥郁たるはこの地質によっている。りんごが産物として大発達したのは、有識者が協議し虫害に
かかった屋敷地栽培の果樹をことごとく買収し伐倒して虫害絶滅の勇断をふるい、しかる後大園圃に健全な果樹
を栽培したことである。すべからく一大産物を興さんとする時は、銘々まちまちの抜駈けをさせず、必ずこのよ
うな大所高所からの所置に出るべきで、当局者もこの機会に注意しなければならないとしている