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六、煙害問題
鉱害問題おこる
郵山の多い鹿角では、農業や林業はつねに鉱害の被害者の立場にあって苦しまなければな
っなかった。資本主義確立期の時流のなかでは、鉱山経営者の半官的高圧的態度が目立ち、
農民はいつでも弱者として軽視されてきた。鹿角の鉱害は、水利における鉱毒水と、空中に拡散する亜硫酸ガス
等による煙害とに大別することができる。前者は水田に、後者は畑地や林地に多くの害をおよぼした。
当地方の田地潅漑は一部の溜池(堤)を除いて、殆ど米代川とその支流によっている。本来郡南宮川村を広
く潤すべき筈の熊沢川は、焼山と蒸ノ湯付近の硫黄鉱山開発にともなう毒水を含むことによって、その潅漑区域
は大きく狭められ、上流からの分水か小沢掛りを用いざるを得なかった。
尾去沢鉱山の明治における鉱毒問題については、もっぱら新聞報道によってのみ知ることができる。まず秋田
魁新報四三年一二月二七日付に「尾去沢鉱毒」の見出しで、鉱山の累年放下した鉱毒水により漸次被害区域が広
がり、今や錦木村の一部、花輪町の大部分におよび、程度も益々顕著となった。かねてその損害に対し被害民の
開始した交渉を拒み難く、鉱山はこの度被害民立合の上で被害の現状を実地調査したる由、とある記事がおそら
く初めてのものである。
○数年前に一時騒がれた鉱毒問題も、被害民の馬鹿正直さがいつも鉱山に瞞着され、除害設備も損害賠償も有耶無耶の問
に葬り去られていた。然し、今回の霖雨による流毒の量は夥しく、稲苗は根付かずかつ根元の腐蝕したのを発見し今更
のごとく騒ぎ出し、俄かに委員を選んで交渉し又監督官署へ陳情している(
秋田魁、四四
・七・二一付
)。