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第三、田地潅漑用水ニシテ余水ノ流入スルモノニ対シテハ、小坂鉱山ニ於テ小坂村字苦竹付近ヨリ別ニ引水ノ設備ヲナシ、

且費用ノ全部ヲ負担スルコト。

第四、(略)

第五、将来ニ於ケル利害ニ関スル問題ハ、総テ相互ニ於テ懇切平穏ヲ旨トシ解決スルニ留意スルコト。

右と同じ内容の協定が柴平、錦木など各村とも結ばれ、ここに毎年の賠償額をめぐる紛糾は一応の終息をみる

に至った。四五年の賠償契約更新をめぐって論議が再燃するのは、おもに大正期に入ってからのことである。

賠償金額についての詳細は把握していないが、前掲煙害関係雑束のなかに、田中町長のメモ書と思われる紙片

に「明治四十二年度烟害補償金弐千五百五十六円六十四銭五厘」と記したものが混っている。おそらく毛馬内町

の分にかかわる三ケ年据置の賠償金額と思われる。また同雑束のなかに「四十三年度煙害補償金配當之件御協議

申度候間、明廿一日午後一時役場楼上へ御出會相成度候也」として四四年一月二〇日付田中町長発信の通知書が

ある。宛名は評議員立山弟四郎、勝又平太郎、内藤順吉、内藤練八郎、大里清七、柳沢恒吉、広島新太郎、豊〓

重太郎、高橋陸弥、石川権吉、刈谷辰蔵、四戸弥七、太田定吉である。このことは明治の末年に至るも煙害補償

交渉は従来同様町村長を中心に行われ、かつ補償金の配当については地主層から選ばれた評議員の協議によって

いたことを証していると思われる。