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馬産の振興策

また牛馬売買免許鑑札所持者以外は諍買ができず、諍売手数料は売高の六〇分ノ一とする。糶場の諸経費は、売

主より徴収する諍売金高の一〇〇分ノ一によってまかなう、などとなっている

県は一〇年七月、良種の父馬を各地に貸与するとして、「馬産取扱正副戸長心得概則」一父

馬預リ人心得」を定めた。一一年一月県から内務省宛「牧畜資金拝借之儀に付上申」したな

)

かに、本県は原野広く天然の牧草繁茂し、特に由利郡冬師、仙北郡田沢、鹿角郡十和田が恵まれていて、牛馬を

いわゆる

放牧して利をあげ、資力なき者は牝牡とも他より借受け産まれた牛馬の価を折半して利益を分ける慣習(馬

馬小作

がある。しかしこれを大盛にする程の資金がないため、空しく一大産業を捨置いている現状であると述べている。

同一一年県が内務省から米国産トロッター種の貸下をうけて種用に供したのが、本県における洋種種馬採用の

初めといわれる。またこの年三月新たに「牛馬籍規則」が定められた。同一二月県勧業課にはじめて畜産係を置

現秋

き、かつ種畜場を八橋寺内一

)に開設し種牛馬を飼育するなど、畜産奨励の施策が次第に整えられてきた

田市

一三年一月、畜産篤志家から選ばれた三七名の委員による畜産協議会が開かれた。この会に協議委員として鹿

角郡から参与したのは小田島治右衛門

)、湯瀬哲太郎であった

『秋田県史』第

五巻六五六頁

)。翌一四年一月畜産協議会

委員の定数を二三名に改めた結果、本郡から二名小田島治右衛門、村山義和(

)が選出された

『鹿角郡産業

調査書』畜産

)。

この時期、一二年調査による本郡の民有馬数は五、九八七頭をかぞえている(

『秋田県治一覧概)

表』明治一三年

)。なお旧版『秋

田縣史』畜産業篇には、西南戦争(

一〇

)以後の財界動揺の影響をうけ、一四年春から本県の物価もにわかに低

落しひいては産牛馬の価格にまで及び、毎匹一一〇余円の暴落をきたした。この勢いは一七、八年になっても止ま

らず一頭五、六円に下落したと記され、畜産界も不況期に入ったことを示している。