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これら外国産牡馬によって産馬の改良を図るべく、積極的にその貸下をうけ

た人々は、いずれも郡内屈指の馬産家であった。

なお、日露戦争鹵獲牝馬王家屯号(鹿毛)は七瀧成田市郎兵衛が貸付をうけ

たが、惜しくも四二年七月に斃死した。

郡馬産の趨勢

このような馬産の気運の

高まりのなかで、三六年

の新聞に、鹿角では牧草播種が奨励され北海

道から牧草種子五〇〇斤余を取寄せ播種した

秋田魁、三六

・九・一八付

。かねてから牧草郡長の異名

を得た河野郡長はしきりに各町村を巡回、牧

草繁殖を奨励している(

秋田魁、三六・

一一・一六付

)など

の記事が見える。

また日露戦争時に発行された「花輪便り」

第一二信(

三八年

一〇月

)には、郷土のニュースと

して次の記事が載っている。本年秋季種牡馬

検査は一〇月一〇日袋丁元吉田氏の邸で開か

れた。今年の糶の事務所は新町奈良正治郎方

第20表明治35~40年鹿角の馬飼育状況

〔明治40年『鹿角郡統計要覧』から.

第21表明治38~40年鹿角の馬糶売状況(二歳馬)

(『同上』から.