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しまった。毛馬内町約三〇〇戸による年々一、〇〇〇間程の薪買入も難しくなり、遠山伐出のためことのほか高

価となった。この上鉱山寮備山として近傍官山の引渡しとなっては、村々の難儀もひと通りではなくなるという

ものである

十和田支所

所蔵文書

。その後この官山引渡し計画は修正をみたようであるが、鉱山と山林の関係は絶え間な

い紛争の火種をもたらす結果となった。

鉱山について一例を三三年にとると、小坂鉱山の木炭買込みの結果価格が暴騰し、一〇貫俵単価が花輪一円

毛馬内一円三〇銭、小坂一円八〇銭となって一般人の生活に大きく支障を来したと報じられている(

秋田魁、三三、

・五・二付

またこの年七月、小坂鉱山藤田組へ同地下内野山七カ字六〇〇町歩の原野が二万四、〇〇〇円で払下げられたが、

同処が小坂・七瀧・毛馬内三カ町村共有秣山であったため、関係農民は毛馬内町会議員等が藤田組の株をもらっ

て契約に応じたと騒ぎ立てたという一件も起こっている(

秋田魁、三三・

・九・二八付

)。

)。

官林の利用

藩政期における山林は、藩有とはいいながら村預け山、炊料山などの制を設け、農民の山林利

用に十分な便益を与えていた。明治に入ってこれらの山林のほとんどが官有林に変わり、その

利用にはいちいち役所への願出と許可を必要とすることになった。私有林といえども制限をうけ、その伐木に当

たっては所定の願出による郡長の指令を待なければならなかった。

民林伐採願

鹿角郡長井田村字上堰二番持主同郡同村七拾四番地阿部左内

、栗七本但弐尺回ヨリ弐尺五寸回迄

、杉拾三本但弐尺回ヨリ弐尺五寸回迄

、松拾五本但弐尺回ヨリ三尺回迄