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この下戻民願に対する調査は三七年二月にほぼ終わったとされるが、その結果はすこぶる厳しいものであった。
その間の本県下戻申請件数は八五三件、面積約一三万二千町歩に達したが、そのうち許可されたものは一四五件
面積七、三七五町歩で、申請面積のわずか五・五%にすぎなかった。大部分が却下され、そのうち不服で行政訴訟を
起こしたもの一九二件を数えたがほとんど敗訴となり、下戻はわずか三七件であった
秋田県史』資料明治編下・八
七、『同県史』第五巻七二六頁
)。
なお下戻申請書の一例を次に挙げる。やや煩瑣にわたるが、その文面から歴史事情を顧みることなく官有地に
編入された当時の地元民の無念さをありありと読みとることができる。
官有地原野ヲ民有地ニ下戻申請書
秋田県鹿角郡大湯村大字草木藤田万右衛門七十七年
・申請ノ目的物
元草木村大久保御林
当時秋田県鹿角郡大湯村大字草木小字砂派五番官有地原野
及同県同郡柴平村大字平元小字菩堤野壱番官有地原野
但、境ノ義ハ古来ノ通リ東ハ〓(蛇)塚森御林地(現今柴平村平元字雁府私林地切)西ハ道切、南ハ元小平村草木村
境切、北ハ美濃渕御林境切
・事実
右申請地ハ元私ノ祖先ノ処有林ニシテ、自費労力ヲ以テ造林保護シ需用ノ木材等自由ニ伐採シ来リタルモノナリ、然ルニ
地籍御改正ニ際シ申請地ハ平元村草木村ノ係争地ト相成、終ニ熟議境界ヲ定メタルモ、此ノ係争ノ部分ハ官有地秣場ニ編
入セラレタル次第ニ有之候、本申請地ハ全ク元私ノ祖先ヨリ代々造林保護セシ私林地ナルモ、王政維新ノ際非常濫伐セラ
レ立木無之為メ、山林原野官民有区別御調査ノ際官有地秣場ニ編入相成リ、甚夕當惑仕リ候モ如何セン事理ヲ弁明シ上願
可仕ノ力乏シク御指定ノ〓罷有、今更悔恨ノ至リニ不堪候。
・理由
抑モ旧南部藩庁ノ制度タルヤ、官林ト民林ト区別アリテ官林ニハ相當ノ扶持ヲ給シテ之ヲ看護セシメタリ、民林ニハ御立