テキストを表示

花輪の商業

花輪の商業は藩政期に引続き賑いを見せ、郡内のみならず他地域との交流も盛んに行われてい

た。当時の新聞は、次のように報じている(

秋田退遷新聞・明治

一二年一〇月九日付

)。

扨また此頃の商況は、岩手県盛岡より石油の

輸入ること夥しく、続いて表呉座、小間物、瀬

戸物、古着、反物続々入荷の外、青森、八戸、

秋田の入荷数知れず、しかるに何処へ引けるも

のか余った様子も見へずズンズン捌けるには驚

き入る程にて、実に近年稀なる事なり云々。

明治初期の花輪の商業状況を示す資料として

第三六表がある。人数からいうと麹室の三六人、

古着商三〇人、小間物商二七人等が目立ち、ま

灯火

た水車・絞油(

)などの業種に当時の風俗

がうかがわれる。麹室営業者の町村別内訳は、

花輪二七、谷内三、夏井三、長内、三ケ田、柴

内が各一である。当時自家用酒(

)の醸造は

所定の届出のもとに許可されており、前掲の

郡誌』には「自家用料酒三、三四一人」とい

うおびただしい数字も見える。造酒には麹が欠

第36表明治9年花輪における営業者人数

*旧花輪通の村々を含む。また兼業・課税の重複もあるので、実人員総計は170人程である。

武藤正一収集資料により、渡部幸三郎集計』