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四一年六月一二日、花輪の商店が郡長及び毛馬内・小坂からも来賓を招いて聯合店会を開き、売出しについて
協議している
秋田魁新報・四一
年六月一九日付
。また花輪の有志数名による毎月一回の懇談会の第三回目が、九月一五日石木田
小太郎別邸で開催されたとの記事もある。
てして翌四二年二月一一日、花輪商業会の発会式が料亭岩手屋に七〇余名の会員を集めて行われた
同前四二年
月二〇日付
)。
商業会は既に三四年発足していたが活動が不振で、改めて再出発したものである。この会は浅利佐助等役員一〇、
幹事三、庶務係三を置く整った組織を持ち、地域の商工業振興を図る組織として大正年代へと引き継がれた。
鹿角の市
鹿角の市は、藩政時代から花輪、毛馬
内、そして大湯、小坂が主なものであ
第〓表鹿角の定期市
る。二五年の時点では、この四つが月三回ずつ市立てし、
そのほか正月一四日の小正月の市、五月四日の節句の市、
七月一三日の盆市、一二月八日の詰市など、行事にと
もなう市が立てられていた。また小坂の一六・一七日の
ように、鉱山の賃金の支払日に合わせた市立てもあった。
鉱山の影響は市の存続にも関わる程大きく、例えば一
二年の調査では大湯市がなく、松山市が花輪・毛馬内・
小坂と並び、毎月六の日に持たれていた(
)。
『秋田県史』
第五巻
これは近くの小真木鉱山の存在によるもので、四年の
(『秋田県史』第五巻から