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なお三二年六日町町内文書にみる当時の花輪市の様子は次のようである。市は上ミ下モ二つに分けて交互に立

こ、上ミ市は長年寺角を境としてそこから南へ魚類陳列場を六三間、その他の売場を六日町南はずれまで一二一

間とし、下モ市は新町九三間が魚類、大町・谷地田町二四四間が他の雑品と区分された。上ミ下モ交互の市立て

は、花輪の町並み全体の繁栄を図ったものであろう。町並自体の比較的短い毛馬内等では、こうした交互の市立

てはなかったようである。

魚類の売場が他の業種と別枠となっているが、内陸の地である鹿角の人々にとって魚は特別な生活必需品であ

り、需要もまた多かったためである。周辺の村々では市の日でないと魚は入手できないため、市の日は次の市ま

での一〇日分の魚の購入日でもあったし、また市遣いをすることは、魚を買うことでもあった。尾去沢・阿部恭

助の日記にも「…市遣ニ遣シ、鯡授拾銭ニ付六本ノ由、未ダ秋田鯡来ラズ、津軽来リ之由ナリ」(

(

二一年三月

一八日条

同月

「一昨日毛馬内市へ八戸ヨリ肴着ナシト見得…此程ノ大雪ニテ来満不通ト見得ル」云々

)と、魚の値動き

四日条

や流入経路について関心をはらっていることがうかがわれ、当時の市や魚の持つ生活上の重さを感じさせる。

)、

市の様子

花輪図書

館所蔵

)には次のような記事が

当時の市の有様について、三七年の「花輪だより」第一号

みえている。

巾日(十一月八日)雨降り雪に変じ「やばつき」(不快な)こと、この上なき日なりしも、魚類も沢山、青物も多く出で、

先づ〳〵近頃の市日なりし。魚類の主なるものは、アジ、サケ、サメ等にして総べて廉しき方、青物は人参、牛蒡一把

銭、玉菜一ケ五銭、大根一本二銭、菊ノ花一把二銭、芋ノ子一升十銭と云う相場なり。又菓物の内栗一升十三銭、「はし

ばみ」十五銭に登り、りんご、梨大小にして価異なれども不作の故か概して高し。此日最も珍らしかりしは「はたはだ」

の初めて顔出したることとて、初物なれば肴屋の鼻息荒く、十銭に二十五と云う相場なりし