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また次の『花輪町史』一
宮城一杉著
昭和三二年
一の描写はずっと後年のものではあるが、明治の頃とほとんど異ならないと
思われる。
市日の当日は早暁から店かけの仕事がはじまる。殊に五十集屋
屋
魚
)のいなせな姿が目につく。商品が取り広げられる。
部落の物売りも来て陣をとる。桶屋の製品も鍛冶屋の物も並べる。背負う商人も今日ばかりは一隅に小間物、木綿類を並
べる。小売菓子屋も出る等々、忽焉として大百貨店が現出するのだ。お盆の市日ともなれば露天営業者の香具師が居合拓
独楽まわし等の遊芸類似の所行を大道の傍或は民家の空地などで演じ、人を集めて諸国妙薬、膏薬、施し療治をやるもの
あり、歯磨、紅、白粉、薬飴を売るものもある。それに金山衆陸続として買出しに俄然市場が活気横溢して、早くも此処
に朗らかな売買成立の天逆手がシャンシャンと聞えてくる。近郷近村の買出し衆も多くなり、そば屋、居酒屋も一段と繁
昌して、どうやら声を張りあげて唄うものも出て来る。市場は最早最高潮に達したのだ。夕方になると金山衆の買物を運
ぶ駄賃付けも通るようになる。
店かけは、長さ八尺の細丸木を立てて前面の柱とし、この柱と家々のひさしとの間に梁を結え付け、挽板ある
いは木綿・油紙等をわたして屋根とし、街道端の堰の上に板を並べて商品を陳列した
前掲六日町
町内文書
)。魚はイワシ
などは葉つとにつつんだり、川魚の焼いたものは串ざしのままや、それをべんけいに刺して売る。筋子は樽で渾
んで来て、客へは朴の木の葉に包んで売ったりした。以上は、花輪のみならず、他の市すべてに共通する市日風
景である。
市立てに参加する商人は、花輪市の場合、毛馬内はもちろん遠く十二所・扇田・大館からもやって来た。商品
の運搬については「市掛舟に櫛・かんざしなどの小間物を積んできた」一
武石
氏談
)という語り伝えもある。これ
は扇田・大館方面からの市掛商人であったろうか、毛馬内については、北秋田の赤沢・黒沢からも小だしを背負
い、瀬田石を経て毛馬内まで来たという。