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第43表明治38~41年木通蔓細工伝習の状況
『明治40年秋田県鹿角郡統計要覧』から)
生徒ノ意気込中々旺盛、数日ニシテ立派ナル果物入ヲ製作シ得ルニ至リ、将来頗
ル有望ノ状態ナリ。其ノ材料ノ如キモ、各町村老幼婦女子競ッテ之ヲ蒐集シ、毎
日弐拾名以上モ晒蔓ノ売込ヲ申出ツルノ盛況…其代価ハ婦女子ト雖モ一日弐拾銭
以上ノ手間賃ニ当リ、恰好ノ済貧行為ト云ウベシ。
(同第十二信・三八年一〇月一七日号)
伝習開始以来種類八十六種、其点数五百五十余、之ヲ市価ニ換算スレバ百四、五
十円トナル…本月廿ニ日迄ニ買入レタル蔓ハ一千弐百十二貫余ニシテ、代価八千
弐百十五円九十銭余、売込人員ハ七百四人。
(同第十三信・三八年一一月二三日号)
これらの伝習会場には郡役所の二階があてられ、また郡教育会が小学校手
工科の授業に木通蔓細工を取上げるなど、官民あげての取組みであった。
ての成果は、東北各県連合共進会でも盛んな好評を得ている。当時の新聞
〓「鹿角郡の木通蔓細工は未た青森県に及ばざる処あるも、軍人家族救護会
の事業に濫觴したりとしては長足の進歩にして、此の勢を以てすれば将来の
造詣図るべからず、軍人救護会の椅子(七円)、寝台(七円)、行李(二円
八十七銭)は立派に、七滝村佐藤治の〓形花生(二十三銭)、曙村阿部多次
郎の魚籠(四十八銭三厘)、佐藤三十郎の輪違小判形籠(八十五銭)等は意
匠仲々巧妙なり」と報じている(
秋田魁新報・明治
二九年五月九日付
。さらに四〇年の東京勧
業博覧会では、鹿角の製品が青森に次いで二等に入賞した。これに対し弘前