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とであった。政府は自ら官営諸鉱工業を起し、近隣に例をみれば明治二年に官営化した小坂銀山をはじめ、阿仁
銅山、大葛金山、院内銀山(
以上秋
田県
)、釜石鉄山一
県
岩手
)等、いずれも施策の一端に連なり官営に移行した諸鉱山
であった。
新しい金融機関
このような情勢の中で、金融機関の発達が要請されるのは当然の成行であった。政府は明
治元年に京都に商法司を置いて商業行政、租税収入のことを取扱わせ、翌二年には通商司
を置き、その監督下に通商会社と為替会社をつくり、海外貿易や諸会社の統制を行い、そして金融も行わせたの
である。しかし「未だ機熟さず不慣れなことも有して」通商、為替会社はいずれも数年で閉鎖している。
ちなみに東北地方を所管として設置され、三年九月に廃止になった陸前石巻(宮城県)の、石巻出張通商司の
取扱事務は次の諸項であった。
一、物価平均流通を計るの権
一、物価平均流通を計るの権一、両替屋を建てるの〓
一、金銀貨幣の流通を計り、相場を制するの権
一、開港地貿易輸出入を計り、諸物品売買を指揮するの権
一、回漕を司るの権
、諸商株を進退改正するの権
一、商税を監督するの権
、諸請負の法を建てるの権
政府はまた一方において為替方を置き、豪商三井組、小野組、島田組等を利用して国庫金の出納、為替などを
取扱わせた。秋田県における為替方は三井組請負のもとに五年六月に設置され、諸上納、その他出納事務を取扱
かっていたが、一二年八月に秋田第四十八国立銀行へ継承している。ただしこの間に小野組は七年七月に翌八月
からこの事務を取扱うべく県と契約を締結し、その直後の一二月破産するといったハプニングに見舞われている