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金一両に対する銭相場についても、毎月のように、また地域に
第〓表明治四年五月・新貨条例公布
までの通貨呼称単位
よって変動が激しかった。鹿角を所管とした江刺県と同様に三陸
会議の構成県である盛岡藩等の銭相場変動の一端を示せば第四五
表のとおりである。
このような状況からの脱却と通貨制度の確立を期して、政府は
四年五月に骨子次のような新貨条令を公布している。
イ、新貨の呼称は「円」を通貨の基本単位とし、一円の百分の一を
「銭」、一銭の十分の一を「厘」とする。
ロ、金貨(二十円、十円、五円、二円、一円の五種)を本位貨とし、特に一円金貨を本位の基本と定め、銀貨、銅貨を補
助貨幣とする。
ハ、新貨幣と在来の通用貨幣との交換は一円につき一両とし、また永一貫文とする
多考までに「永」とは、室町幕府が明から輸入した永楽通宝の略で、江戸幕府の政策上慶長一三年(一六〇八
にその使用を禁止し、通常の流通銭である寛永通宝等とは永楽通宝一貫文に対して公定換算率四貫文とし、租税
等の基準単位に名残りを留めていたものである。
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国立銀行条例の制定
ともあれ我が国の当面の課題は、通貨制度の確立を期すことであり、また資本の貧弱
さを克服して殖産興業を図るために、まずもって共同出資による会社の設立を促すこ
とが必要であった。幸い民間では明治四年頃から金融機関の設立を企図して出願するものが相次いでいた。しか
しそれらが再び為替会社の轍を踏み失敗することを恐れたことと、大政官札を整理する必要に迫られていたこと