テキストを表示

などから、政府は大蔵省内に銀行条例編纂掛を設け、大蔵大丞として紙幣頭を兼ねていた渋沢栄一を主任として

草案作成に当らせ、五年一一月太政官布告をもって国立銀行条例を交付したのである。

同条例によれば、国立銀行の資本金は少なくとも五万円以上とし、これを設立しようとするものは、資本金の

〇分の六に相当する金額の金札を以て政府に納付し、これと引き換えに、政府から同額の六分利付け金札引換

え公債証書の下付を受ける。銀行はこの公債証書を銀行券発行の抵当として政府に預け入れ、同額の銀行券を発

行する。なお資本金の一〇分の四を正貨で払い込み、これを兌換準備に当てるというものである。組織形態につ

いては株式会社として設立し、株主は有限責任で、頭取、取締役は株主総会において選任されることを義務づけ

ていた。

なお国立銀行そのものの成立についていえば、当時貨幣金融制度視察のためアメリカに派遣されていた、大蔵

少輔伊藤博文の発議にはじまる。伊藤は同国におけるナショナル・バンクが、南北戦争に際し発行された大量の

不換紙幣を回収整理する目的で設立され、かつ成功をみていることから、この制度を導入することを建白し、〓

府の議もこれに決したのである。

また国立銀行の訳語について、渋沢栄一は要旨つぎのように回顧している。

初め紙幣発行会社と命名することを考えた。しかしナショナルを直訳すれば国の義であるが、一字では

熟語にならず国立とした。バンクは金を取扱う場所を意味している。両替屋では野暮ったく、中国流に洋行

とか商行とも考えたが、商店に用いる語彙である。それで各方面に相談をもちかけ、その中で銀行にしよう

ということになり、国立銀行という名前が生れてきたのであります」