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岩手県への進出

脳岡は、かつて第一国立銀行の共同出資者小野組本拠の地であった。この地に東北地方三

番目の店舗として盛岡支店が設立されたのは、一一年二月のことである。その前年一一日

に各中央官庁及び岩手県の公金取扱を目的として仮出張所が設けられたのを嚆矢とし、岩手県の為替方となるに

およんで支店設立となったものである。当時の岩手県の状況は次のようなものであった。「其地や形勢深奥南仙

台を距る五十里、東釜石宮古八戸の諸港を距る二十八・九里、北青森に到る五十里、西秋田に到る三十里、而し

て七分の山岳、三分の平陸にして、北上川の巨流ありと雖も船舟の便未だ充分に開けず、故に運輸難関にして百

貨周給せず、然れども、其為替の業は将来豊盛の目的あり、貸付金は其の要索は少なからずと云とも、皆抵当の

種類に適せざるより、与に十分妥議を得ずと雖とも其索むる者は、皆能く融通の便を会得するを以て、将来必ず

貸借の真理を闡発す可し。預り金は当座定期とも漸次増加するの形勢あり」云々。盛岡支店は専ら地方税の取扱

いを行い、一般の銀行業務に関しては先行投資の感無くもなかったが、次第に県経済界において重要な地位を占

めるに至った。

秋田県への進出と

花輪出張所の開設

一二年七月、第一国立

銀行盛岡支店が秋田県

九郡役所の為替方事務

を命ぜられ、県内八カ所に出張所を設けて行員

を派遣し、同九月から事務取扱いを始めたと伝

えられる。これが銀行が秋田県に進出したはじ

第7図第一国立銀行花輪出

張所の広告

(「秋田退邇新聞」.

貯金預リ廣告

今般造銀行ニヲイテヲ貯金預リノ方法ヲ相設ケ秋ヨ。〓手

本葉。能代。〓巣。花輪。大曲。湯?。ニ於テ取扱候ニ付右手

〓心得書ハ日露〓新開第千二百五十八号附録トナシ差

相候問有志ノ諸君〓治拾錢以上何程ニテモ積流アラ

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