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もそも第一国立銀行が当初東北地方を中心として店舗展開をしたのは、地方の商業及び産業の発展の要請に

応えたものであり、その後各地に銀行が新設されると、それ等諸銀行の指導援助をもその任務としてきた経過が

ある。しかしその任務も終えたものとして、また営業期間を満三〇年と定めた国立銀行条例の規定に従い、二〇

年代後半から順次支店の整理方針を打出した。秋田支店については、その受皿として新設成った秋田銀行に営業

部門を護渡し、国庫金取扱は安田銀行に引継いで、二九年八月廃止に至り、花輪出張所もそれに伴い同日閉鎖し

ている。

なお第一国立銀行のその後の経過は、二九年九月営業満期に伴い株式会社第一銀行と改組して普通銀行となり、

昭和一八年四月三井銀行と合併し帝国銀行を設立、さらに第二次世界大戦後、二三年一〇月第一銀行と帝国銀行

のち一

)に分離、四六年日本勧業銀行と合併して第一勧業銀行を設立、現在に至っている

井銀行

〓秋田第四十八国立銀行の設立と鹿角

国立銀行条例の改正

旧国立銀行条例によって設立された国立銀行は、四行を数えるに過ぎなかった。その

埋由は未だ一般に銀行に対する信用が無かったためで、ましてその銀行が発行する銀

行券に信用など有るはずもなかった。正貨兌換の義務を負って銀行が国立銀行券を発行しても直ちに兌換請求を

受ける状況下にあって流通は困難となり、このため各国立銀行は営業資金の不足に悩み、甚だしい営業不振に落

ちることを余儀なくされたと伝えられている。従って新設後続の銀行は皆無の状況にあり、この状態では通貨制