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に、鹿角の出資者として花輪・岡本斧三郎、尾去沢・関新太郎がいる。
同行の沿革を『秋田銀行八十年史』によってみれば、次のとおりである。
明治一二年一月
引治一二年一月秋田県下南秋田郡外八郡の郡役所金銭鑑定方にかかわる事務を取扱う。
六月駅逓局郵便為替掛屋御用達となる。
八月秋田県地方税為替方となる。
九月第一国立銀行と共同で大蔵省為替方となる。
「三年四月事務を辞退し第一国立銀行に引継ぐ。
一〇年三月国庫現金支払事務を秋田国庫金出納所へ引継ぐ。
白月県下九郡役所並びに警察署の為替方となり、花輪、大曲、横手、本荘、湯沢、能代、鷹巣、大館の八
カ所に出張所を設置する
三一年一月国立銀行としての営業満期により普通銀行に改組、株式会社第四十八銀行となる
花輪出張所は二〇年四月に設置され、三一年一月に国立銀行としての営業満期に伴い廃止されたものと推定さ
れる。なおその所在地は第一国立銀行花輪出張所の小田島昌蔵が花輪村上花輪九四番地において兼業しており、
小田島家では二〇年四月から第一国立銀行花輪出張所が廃止された二九年八月までの期間、二行の看板を掲げて
いたことを窺わせている。
その後、大正一二年一一月に至りさらに株式会社第四十八銀行花輪支店が、花輪町字上花輪一三五番地に設置
された。しかし昭和一六年一〇月、業界統合の国策により株式会社秋田銀行及び株式会社湯沢銀行と三行の合併
で、新「秋田銀行」が設立されたことに併い、花輪支店は閉鎖された。花輪支店の所在地は開設以来二転してい
るが、閉鎖された際の店舗が新秋田銀行・花輪支店の店舗となった。