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その後大正年間に至り、同五年三月毛馬内に臨時派出所を開設したが、一二年一〇月末日を以て花輪及び毛馬内

とも廃止された。その後花輪においては第四十八銀行が営業を継承し、花輪支店を設置している。当時安田銀行は、

傍系並びに資本系列下の銀行を合わせて二二行を数える大銀行であったが、この年その内の一〇行を母体である

安田銀行に併合して、株式会社保善銀行を設立した。このとき花輪出張所等も整理対象となったものである。保

善銀行は即日商号を株式会社安田銀行と変更し、さらに昭和二三年一〇月富士銀行と改め、現在に至っている。

〓秋田銀行小坂出張所の開設

秋田銀行の設立と

小坂出張所の開設

明治二三年八月、国立銀行や特殊銀行を除く普通銀行に関する最初の法規として銀行冬

例が制定された。これは銀行の定義、設立許可、業務の監督に関する規制等を規定して

いたが、特に重要なのは貸出の制限規定で、貫く精神は普通銀行を商業銀行として育成

しようとするところにあった。昭和三年に銀行法の制定を見るまで銀行はこの条例によって規制されていた。か

かる中、明治二八年一一月、株式会社秋田銀行がこの銀行条例に準拠し、当初資本金三〇万円をもって秋田市に

設立され、翌二九年五月営業を開始した。時まさに日清戦争後の償金流入を見越した景気に沸き、また県内にお

いては鉄道施設一

奥羽

本線

)の気運高まる中で、いよいよ産業の急速な拡大が渇望されていた。加えて国立銀行の営

業期間が満期に近づき、第一国立銀行秋田支店の業務を継承するために、受皿たりえる「健全強固な地元金融機

関」が必要とされていたのである。その後、同行の業績は順調な伸展を遂げ店舗網を拡大していったが、店舗の