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多大であった。また十分採算がとれる品位鉱を柄石として捨てていた。今日、これらの捨石から多量

の金銀を冶金して利益をあげている。

四、製錬土中に穴を掘り、薪炭を燃料として焼鉱製錬をおこなっている。なお、金銀鉱は鉛鉱とともに焼

鉱して含銀鉛とし、これを灰吹きと称する方法や南蛮吹という方法で金銀、銅などを生産していた。

石炭やコークスの使用はいまだない。

というのが全国的な状況であった。以上は主として技術的側面についてであり、経営管理面での諸問題も指摘

しているがそれは省略したい。

ゴットフレー

の報告

また、明治四年工部省鉱山寮の鉱山師長として雇傭され、翌五年七月から十一月にかけて関

采、東北地方の諸鉱山を点検したJ・G・H・ゴットフレーが、尾去沢鉱山にも来山し調査

した結果によると『上毛下毛三陸両羽諸鉱山点検明細録』には、次のように述べられている。

「秋田県管下、陸中国鹿角郡尾去村

尾去沢銅山八月廿五日ヨリ廿八日ニ至ル

寛文六年丙年開山、明和二酉年ヨリ南部家手行ヒ明治元年〓辰十一月ヨリ村井茂兵衛受負稼キ、同五年〓申四月廿

一日ヨリ岡田平蔵受負稼人タリ、銅坑三ケ所ニ有、甲ヲ元山、乙ヲ田郡、丙ヲ赤澤トイフ、合セテ三澤ト称ス

一、元山、坑数二十、当分稼クモノ三坑、熊谷鋪、曽呂利敷、新切敷、闇山=(元山坑区筆者注)銑筋三アリ、

巾広キモノ四五間狭キモノ一寸坑延ヒ六百五十間余ニ至ル、○金坑アリ盛リ敷ト称ス僅々タル鈍ニシ

テ銅坑夫ノ余業ニ過ス。