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鍵屋の破産

高官の、村井を責任者として前面にだす意図が、あからさまに読みとれる。

イギリス商人オールトにしても、村井経営の尾去沢銅山産出の銅が目当てであったことは明ら

茂兵衛

かで、三年一一月盛岡県が太政官弁官への願書に「村井茂右衛門

請負山、尾去沢銅

と同人

山出銅売代金其外諸道品に至る迄、英商オールト借財へ差向返済相立申度に付、当県役方之内、銅山へ出張取締

は勿論出銀銅に至る迄差図致させ申度、依って都て銅山用向江刺県へ談合取計申す可く候間」と記し、許可を得

ている。

三年閏一〇月、同一二月の両度にわたり、盛岡県は外債等の支払にあてるとして、大蔵省より一五万両の借用

を行うことに成功した。この借受に際し県は、村井に対して「銅山稼方村井名義の儘、御引当に致す可くに付、

左様心得申す可く候」と、尾去沢銅山の出銅払金をもって償還すべき旨を告げている。

四年正月、盛岡県は先の太政官弁官の許可により、江刺県に対し県官員銅山出張のことを懸合におよんだ。同

正月二九日盛岡県少属佐藤吉弥、史生葛西省吾・山口才吉・三嶋富次郎の四名が、尾去沢銅山取締の為という名

目で派遣された。三月二六日には帷子繁治、四月三日には神友閑がそれぞれ権大属の資格で、同年一〇月には権

大属波岡勇蔵が、引続いて派遣をみている。

四年に入って英商オールトは、償還金の遅延につき、ついに盛岡藩債償却延滞の訴訟を大阪出張弾正台に提記

した。この訴訟に対して村井側からも反訴を行い、とくに、四月鍵屋の支配人沢田忠兵衛が大阪に上り、出張弾

止台に事実の取糺を訴願したため、事件はますます複雑な様相を呈してきた。沢田は、オールトからの外債預り

金の未返済分について、村井には盛岡藩に対する多額の貸付金があり、かえって三万両の貸越しがあることを士