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張し、オールトへの支払を一切拒否すると主張した。

その取調において、川井清蔵は証書の内に「内借し奉る」とあった金二万五、〇〇〇両をも、藩が村井に対す

る貸付であると証言した。その結果、この内借の金と、二年一〇月村井に預けた一二万余両の残金一万一、一〇

八両の合計金三万六、一〇八両が、オールトに対する分借金と認定された。この「内借し奉る」とある金高は、

村井が藩に貸上げた金額のうち、藩が内金として下渡した支払金のことで、村井が内金を受取る場合の従来の慣

例により「内借し奉る」との受領証を差出してあったものである。のちに川井はこの偽証の罪を罰せられている。

七月五日、民部省からの呼出により村井病中の代理として忠兵衛が出頭したところ、オールト借銀残高は至急

上納すること、またかねて願出の藩債との差引勘定は聞届け難いとの申渡しがあった。ついで同一三日民部省か

りつぎの達が盛岡県に発せられ、分借金返納延滞を理由に鍵屋村井茂兵衛の家産は一切封印され、身代限り

の処分を受けることとなった。

其管下陸中国盛岡町人村井茂兵衛盛岡藩より英商オールトより借入候洋銀の内拾弐万弐千枚、同藩より相預

り返弁滞り候に付、此上返金申付け、若出金相成難き候節は、身代限り済方申付け候筈に付、右茂右衛門家産取調べ家

)

財等紛敷致さざる様取締り候義、明細書を以申出可く、此段申入れ候也。

この不条理な結果についてのちに村井茂兵衛の歿後一

明治六年

五月没

)、茂兵衛を襲名した子直三郎が再審を請求し

た願書に、「在阪亡父茂兵衛が旧藩債外国の関係に付ては、単に証書に調印せしのみにて、金銭出納をなさず、

勿論一金も使用せざるに、旧藩に於て支払延滞の結果、明治四年七月十三日民部省より地方庁を経て、弊家に対

し、身代限を申付けらる」と認め、その遣方ない無念さを表わしている。