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方、同年七月一四日廃藩置県を断行した政府は、各藩の負債をすべて政府の債務に移すこととしたので、
○月外務省からオールトに対し、未返済金全額一一万五、二〇二弗二七セントを支払った。このことでオールト
と藩=村井の間の決済は完了したものの、また新たに村井と政府との間の貸借関係が生ずる結果となった。
銅山の官没
四年七月民部省の廃止により、藩債関係の事務は大蔵省に移った。村井と盛岡藩との貸借関係
り一件は、一時大蔵省から司法省に送られたが、四年一二月ないし五年一月に、大蔵省は再び
その調査に乗り出した。
大蔵省判理局の川村選は、川井清蔵と村井茂兵衛を呼び出し、藩との貸借関係について再吟味を行なった。川
井は、オールトからの借入金を村井へ貸付けた分の残金一万一、一〇八円余
四年五月新貨条例で、
貨幣の呼称が円に統
)、ほかに藩の
外債の内から一万五、〇〇〇円と一万円、合計二万五、〇〇〇円を村井に貸付けてあると主張した。村井は、一
刀円は藩に対する貸付金の返却をうけた分であることを釈明し、かつ一万五、〇〇〇円は既に民部省において村
井から藩への貸付金の返却分として処理済みであったにも拘らず、川村はこれら村井の弁明には一切耳をかさな
かった。
このようにして川村は、川井の主張のみを採用し、金三万六、一〇八円余をもって村井から徴収すべき金額で
あるとして、村井に即時納入を迫った。その強硬さに村井はやむを得ずその金額の支払いを承諾するとともに、
七年賦を嘆願したが許されず、五年賦、三年賦と嘆願したがこれも許されなかった。そして遂には尾去沢銅山を
政府に返上し、その附属諸設備の買上代金をもって、納入金の弁済に充てることを持ち出してきた。川村の当初
からの狙いは、明らかに尾去沢銅山の没収にあったのである。