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事件直後に来山していることに注目される)

一、暴行の起因を問いしに、さきに阿部潜が東京に於て辻金五郎へ譲渡の約束をしたので、該山引渡すべしとの

掛合となったのが原因でないかという。

、鉱山の景況は暴行事件以前より却て静穏である。現在使役する坑夫二八三名で、単に採鉱のみに従事し、鎔

鉱等に従事するまでに至っていない。昨一九年中は資金の欠乏から殆ど休業の姿となっていた。僅かに坑夫等

の糊口を凌ぐに必要な薪炭の準備もなく、三菱社員出張の後ようやく幾千の金額を支出し、薪炭購入の順序を

整えたというので、一、二カ月の後には鎔鉱等にも着手する見込があるという(既に三菱の管理下に半ば移り

つつあったのではないか)。

八月の頃、三菱長谷川芳之助が善後措置を講じ、小真木側と示談和解をとげ、杉本等は一切手を引くことで終っ

た。一〇月の二四日鉱業会社頭取岡田平太は、さきに契約した自己に属する権利のすべてを、長谷川芳之助に譲

渡することを承諾し、尾去沢のみならず、会社の経営に属する細地、大葛両鉱山も長谷川即ち三菱の手に帰する

こととなった。

初期の鉱産額

ここに尾去沢鉱山の明治に入って以後鉱業会社瓦解に至る二〇年までの鉱産額を掲げる

第一表)。元年より一六年迄は『尾去沢・白根鉱山史』巻末資料により、一七年以降は

『秋田県史』資料明治編上一、〇八二ページによった。

『秋田県史』資料明治編上一、〇八二ページによった。