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大正四年になってからである。

選鉱部門についてみると、坑内から搬出した鉱石をまず鉄格子篩にかけて篩分し、大塊はフレーキ式碎鉱器で

砕いてからトロンメルという円錐篩で篩い、六分以上は手選婦によって精鉱・片羽、捨石の三種に選別する。手

選片羽はロールによって二分以下の粉鉱とし、淘汰場のバンコック式淘汰器で再び精鉱、片羽、捨石に分ける。

片羽はさらにハンチングトン又はチリアン式磨鉱器によって碎き、淘汰器の選別ののち精鉱と捨滓の二種とする。

水選の各種器械から放出された泥水は、沈砂器や淘汰盤を経て、沈澱池に導かれ、その上水の一部は沈澱銅採

収場に入れられる。なお沈澱銅の採取は、三三、四年ごろから、坑内水をも導水して始められている。四四年に

は獅子沢内四カ処から一カ月平均二五・五トンの銅を得ている。

製煉では、二二年初めて粉鉱焙焼用の反射炉が設置された。二五年さらに水胴式熔鉱炉を設け、小型ルーツ送

石灰煉瓦

風機を運転し、日本吹炉一

)とともに一部洋式熔鉱法を採用している。燃料はいずれも木炭であった。

積の炉

かくて次第に熔鉱炉を増設し、三〇年に至ってストール焼窯の新設と真吹法採用により、旧来の日本吹法を全廃

することになった。ついで四一年には壷焼法の導入により、ストール窯を廃止している。なお熔鉱炉の媒熔剤と

コー

して石灰石を用い、燃料も骸炭(

)の使用へと変っていった。

クス

熔鉱炉による熔解物は、比重の違いによって鍍と捨銭に分けられる。皺は平均含銅品位四〇%内外を示し、真

吹場に送られ真吹床で送風精製ののち、精銅となる。精銅品位は平均九八・九%で、含金○・〇〇〇五%、含銀

〇・〇六%である。なお銭の平均含銅品位は〇・四%にすぎず、一部緩煉瓦を製造するほかは、廃棄となった。

販売

二一年から明治末年に至る尾去沢鉱山の鉱産額

)を示せば、つぎの通りである。