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注〓、この輸送関係の項も、殆ど前掲三菱鉱業社史編纂室『尾去沢鉱山々史』に拠る。
注〓、関善次郎『雲楼翁小傳』。『鹿友会誌』』第二二冊
注〓、前掲『尾去沢・白根鉱山史』三六四-三六五ページ。
三、小真木鉱山
再生の小真木
近世中期に、尾去沢銅山とともに南部領内の主要銅山として栄えた白根銅山は、幕末の頃ほ
とんど廃山の状態におかれていた。記録の上からみても、白根住居の者たちが文化八年(一
八一一)金躰を見込んで古舗取明を願いでたことや、同一四年白根・立石の捨銭働方を、さらには安政5年(一
八五八)の駒木・立石の紅柄緑礬の試製を願いでるなど、わずかに二、三のことをとどめているにすぎない。明
治六年(一八七三)の第七大区中第一小区陸中国鹿角郡毛馬内村之内字白根略絵図において、その屋敷数は「六
枚は
枚無税地」と書かれ、うち四枚
)には「明屋敷」と表示されている。
区画
明治に入り、ここに初めて鉱区を設定したのは毛馬内村高橋熊太郎同じく高橋右平であった。高橋両人は、
○年字館石・小真木にかかわる試掘願を出願し、まもなく時の工部省よりつぎの「仮證」の交付をうけている。
官試第百五十四号
假證
秋田県陸中国鹿角郡瀬田石村山官地