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字館石、小真木同県同国同郡毛馬内村

金銅鉱平民高橋熊太郎

外壱名

右場処ニ於テ一ケ年以内試掘差許候、尤此證券坑法ニ相記シタル試掘ヲ不可得者ノ手ニ渡リ候節ハ

其日ヨリ可為廃物者也

明治十年六月廿一日工部卿伊藤博文代理

工部大輔山尾庸三印

外壱名は、高橋右平である。一年経過するや両高橋はさらに試掘延期願をだし、その試掘を継続した。一二年〓

は開業を決意し、借区開坑願を提出して字館石一、〇〇〇坪、字小真木一、二〇〇坪の借区坪数合計二、二〇〇

坪を範囲とする、金銀銅鉱場の開坑に着手した。その願書のなかに「右場所において明治十年六月中金銅鉱試掘

御許可を蒙り稼行罷有候所、同鉱場にて銀の一種更に発見致したるに付」と述べ、銀鉱の発見を明らかにしてい

る点が注目される。なおその結果翌一三年交付された仮坑区券には、坑区税五〇〇坪につき金二円と税額が記載

されている。

これまで関係の諸書には、小真木における最初の鉱場稼行人は東京市神田居住の辻金五郎であるとだけ紹介さ

れ、高橋熊太郎、高橋右平の試掘および借区開坑の事実の世にあらわれることがなかった。

例えば『尾去沢白根鉱山史』一

麓三郎著・

一九六四年

中)には、辻金五郎は明治九年七月に一二八、一四二坪の鉱区の許可を

約三〇メ

約二〇メ

得た。まもなく一三年小真木山頂付近において、深さ約一〇〇尺(

)、直径約七〇尺(

)の、ポケッ

ートル

ートル