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かくて菊池幸七は単独で不老倉鉱山を古河市兵衛に譲渡するよう、手続を進めた。その借区譲渡願にからんで、

前記斉藤甚助より加名出願の申立もあったが、農商務省鉱山局長より「鉱山は菊池幸七の専有に帰し(略)斉藤

の故障申立の義相成らざる次第」と却下されている。菊池より古河市兵衛へ、不老倉字久七沢一万二、〇〇〇坪、

台所沢六、〇〇〇坪、番鳥沢二、〇〇〇坪、地森沢一、〇〇〇坪、板子沢四、〇〇〇坪、合計二五、〇〇〇坪の

借区譲渡は、二〇年八月二六日付をもって出願された。同年一二月六日「願ノ趣聞届ケ券面訂正裏書下渡ス農

商務大臣」として認可があった。

この借区譲渡については、さらに尾を引くものがあったとみえ、『鹿角のあゆみ』は、二二年六月十五日付秋

田魁新報の報道として次のことを紹介している。すなわち「不老倉鉱山の紛議」と題するこの記事は、まず最初

の借区が地元民であったこと、高瀬喜代治を総理代人として採鉱その他一切のことを処理させていたところ、一

七年三月同人は自己の専断でこれを菊池幸七に売渡したこと、更に菊池は一万二、〇〇〇余円で古川市兵衛に売

豊田吉陸、

渡したので、「此程に至り、石川

)外二名

)は此事を知りたるより、高瀬、菊池二氏へ程々掛合

同忠太

いたるも何分埒明かざる為、右借区人より二氏の係り訴訟を起したるなりと、尤も岩崎弥之助より借区人へ事の

結着次第、金一五万円にて買受け渡しの申込を為し居るという」と結んでいる。

一七年の菊池幸七への譲渡、二〇年の古河市兵衛への譲渡がすでに法的に発効している時点で、どうしてこの

ような紛争が起り得るのか、その事情は未だに明らかにされていない。一説によると、高瀬が菊池へ借区譲渡を

したことを、旧借区人側は全く知らなかったという。また臆測に過ぎるが、新聞報道の末尾にあるように、一五

万円を条件に岩崎側につよく使喉されたものかもしれない。