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注〓、同四四年三月三一日付
注〓、『秋田県史県治部四』第七冊(大正六年)一七九ページ
〓〓、『田子町誌』上巻(昭和五八年)五〇三、四ページ
注〓、斉藤實則『鉱山と鉱山集落』一六九ページ
注〓、『秋田県史県治部四』第七冊一八二ページ
五細地鉱山・四角鉱山及び諸鉱山
めまぐるしき所管替
細地銅山は、明治六年五月に東京府下の小野組が官許を得て稼行を始めていた。子
の借区は、東は細地岳から北は番鳥岳、西は太郎助を経て南の中岳に至る範区のな
かにあって、旧坑の一坑を含め六坑口を開いていたという。
その小野組は、七年七月秋田県との間に為替方の約定を結ぶなど際立った活動をしていたが、間もなく金融
大隈
にゆき詰り同年一一月破産となった。秋田県権令国司仙吉は、直ちに大蔵卿
)に伺を立て、小野組閉店に
重信
ともないこれまで県内で請負稼行していた同組六ケ山
袖地銅山、向山銀山、玉川鉄砂山、
明取沢銀山、小繋銅山、平糠金山
)の処分について指示を乞
うた。翌八年一月、大蔵卿より、「細地は岡田平馬追て借区相願候趣に候間、夫故当分県庁扱に相成候事」の
附紙とともに、細地銅山を除く五ケ山は廃業として取扱うよう指令があった。すなわち細地だけは岡田平馬の
出願見込をうけ、それまでの間を秋田県が継続して仮官行を行うこととなった。