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一五、六年頃の細地

鉱業会社稼行時の山況については、『尾去沢鉱山関係文書』に一七年代と思われる調

査書が収められている。その大要は、細地鉱山は当時細地岳一坑の稼行にとどまり、

七〇人

堀採従事の者五四人(

、製煉従事三〇人、雑稼の者七人、老少等で就業しない者一一六人、役員職工九

と傍記

人、計二三二人、これらの坑民は創業以来日浅いので自費家屋を設ける者僅かに三戸のみ、ほかは皆長屋に生活

している。採鉱法は、堅岩には爆発力を借りるが、多くはただ鑒と槌で掘る。採鉱量は大抵一人一五、六貫で、

之を簀に盛り背負って運び出す。就業時間は四時間をもって一回とし、順次輪番で働く。

坑内から運んだ鉱石は精鉱場へ運び、碎いて重も箔、中物、羽色

)に分ける。賃金は、採鉱精鉱を兼ね、

三〇貫目に付平均一円五〇銭である。各種の精鉱を合わせ四八〇貫目を一窒として焼鉱に入り、薪材(

梅お

梅楢

)は

一間と四分五厘、炭三貫目を用いる。次いで第一次熔煉は焼鉱を熔煉の炉に入れ、幾操作かののち八時間ほどで

荒銅二〇貫乃至三四、五貫、鍍銅六五、六貫から八七、八貫を得る。第二次熔煉では、荒銅二三〇貫を一炉とし

第〓表細地鉱山従業員・産銅量(明治〓~〓年)

役員は支配人、手代、坑夫は開坑夫・採鉱夫・坑内運送夫、工夫は職工・製煉工夫である