テキストを表示
田ノ沢鉱山
〓ノ沢鉱山は、二一年一〇月長井田村民有地字田ノ沢五八番の内に四、〇〇〇坪の銀鉱借区開
玩願が出され、翌二二年三月許可されたことに始まる。その願人は同村田中六助、阿部権兵衛、
阿部治助であった。同時に約定した地元民の承諾書には、該地は旧夏井組共有地なので、坑業稼行に要する製煉・
洗鉱等の悪水を田地に潅漑させないため、更に新堰を開通し、当三ケ田村用水堰に潅注しなければならない。尤
も右工事は製煉に先立ち起工し落成した上で差支えないものとする、という厳しい条件が付されていた。
この田ノ沢については、前年から複雑な事情がからんでいた。一九年中に花輪関村清之助から田ノ沢借区の出
願がなされたが、地元民との間に用水鉱毒関係の示談が整わず、さらに二一年同処試掘願が東京長谷川芳之曲
代理人尾法沢
大江松太郎
からも出された。この重複出願は地元民をも紛争にまきこみ、県官の現地見分が行われた結果、
二二年七月農商務大臣指令にもとずき関村清之助の銀鉱借区願が受理された。
三年五月、花輪町中嶋藤右衛門は長井田官林字東ノ又ノ内小字大石沢、袖ノ沢、青スカ、シュツ沢、東ノ〓
沢において金銀銅鉛鉱試掘を願い出、さらに同年旧夏井村附属山字ヌカリ谷地、胸替平、上ミ沢においても同じ
く金銀銅鉛鉱試掘願を提出した。
二三年一一月、田中六助ほか二名は田ノ沢ノ内小字栃ノ木、冷水沢、隅川、松倉、白根に増借区三万二、四七
九坪と試掘願地を拡大した。二五年の頃より田ノ沢鉱山を中嶋藤右衛門に譲渡する計画がもち上っていたが、な
かなか機運が熟しなかった。二六年から三〇年までの鉱業施業案は、すべて田ノ沢鉱山共同鉱業人総代阿部権兵
衛として提出し、認可されている。二九年一二月、田ノ沢鉱山譲渡確認の約定書が鉱業人阿部権兵衛、同田中六