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毛馬

)安太郎

通入寮生頭取-善五郎貞次郎

「石垣柯山先生遺稿』女鹿ヒ

この他、句読師として石垣柯山がいたと思われるが

)、舎長補泉沢恭助が友人とし

蔵・『内藤湖南全集第一四巻』

て私的に依頼したらしく、寸陰館の記録には一切出ていない。

寸陰館の校舎には、花輪館本丸の南部家屋敷があてられた。修理・模様替にあたっては、御用達新五郎が板や

釘の納入を命ぜられている。次いで用紙筆墨の下げ渡しがあり、諸帳簿も整えられて開館準備が進められた。

花輪寸陰館の開館

回手伝-喜代治平治政五郎廉太郎(

内

素読生頭取-淳八郎冨治

寸陰館の入学受付は、三月一二日から開始されている。「午三月十二日元給人小田嶋太

郎帰農花輪大町昌六廿八才」

「明治三年・入学

簿』川村家文書

)等、続々入学願が提出された。

三月一七日開館の予定であったが、出席予定の県官吏石川権大属が急用のため、翌一八日に延期された。『寸

陰館日誌・第一号』一

川村

家文書

〓)によると、開館式の模様は次のようであった。

一、祭神経津主神武甕槌神孔子神位

神前洗米神酒肴

頂戴、終って一同退散。

九ツ時役方礼服ニて相詰め神拝、終って講席ニ付て規則読渡し、講始まり、終って諸生退散、役方再び神拝、神酒洗米

教師達は礼服に身をかため、石川権大属から贈られた祝酒をくみ交し、滞りなく式を終了した。

なお五月にそれまでの校舎が新任の小山少参事の役宅となったので、寸陰館は花輪仲小路の佐藤新之助宅へ移