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秋田要一午民

第4図明治10年花輪学校の終了証書(連区制〕

(「花輪小学校百周年記念誌」から)

当時人口二万四〇〇〇余の鹿角は、小学校四〇校を設

置すればよい筈であるが、諸般の事情が勘案されたらし

く五六校設置となっている。小学区にはそれぞれ番号が

附され、全県一〇〇五番中、鹿角は一二四番から一七九

番であった。

しかし戊辰戦争後に凶作に見舞われたりして鹿角の村々

の財政は窮迫し、小学校設立は遅々として進まなかった。

全国的にも同様であったため、文部省は六年五月の布達

によって連区制による設立を認め、学校開設の準備は急

兎に進んだ。明治七年から一一年にかけ、鹿角では単独

凶一〇、連区一一の計二一校が開校している。なお資料

が散失しているので小学区の番号を確認できるのは、又

新学校(一二四~一二九番)、毛馬内学校(一三〇~一三九

毎)、松山学校(一四〇番)、花輪学校(一五〇~一五六番)の四校だけである。『八幡平小学校創立百周年記念誌』

昭田六)には三ケ田学校一五八番、夏井学校一六〇番、長牛学校一六一番とあるが、傍証を欠いている。第四

四七七

江)の小学区番号は、一部推定である。

昭和五六

年刊行

表(

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