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学区取締と

学校雑務掛

六年一〇月四日、県は各小区毎に学区取締を任命した

明治六年秋田県庁日誌」

秋田県教育史』第一巻』所収

)。鹿角では七

小区副区長・根本順助、八小区副区長・大里寿、九小区戸長・岩尾精一郎が学区取締兼務となっ

た。なお根本順助は七年一二月に大館へ転じ、深谷広生が替っている一

「大湯小学校九十

年誌』昭和三九年

)。

一学区取締職制」によればその任務は次のようなものであり、小学校設立について広範な責任と権限を持って

いた(

『秋田県教育

史』第一巻

)。

○就学の督励、学校の設立、学校経費の調達指導

○出納表・生徒表など学制諸表簿の調製報告

○担当学区の教員の服務状況の指導監督

しかし兼務の学区取締は繁忙をきわめ、事務処理のため専任の学校雑務掛が置かれることになった。鹿角では学

佐藤

校雑務掛の辞令は見当らないが、傍証として高屋学校雑務掛・佐藤長三郎の請書控がある(

)。

家文書

私儀、今般高屋学校雑務掛仰付けられ、有難き仕合と存じ奉り候。之に依り御請申上奉り候。以上

明治七年十二月十三日

明治七年十二月十三日第二大区八小区鹿角郡高屋村農佐藤長三郎印

秋田県権令国司仙吉殿

専之助(

これに見るように、雑務係も学区取締同様、県令の任命であった。なお学校雑務係で氏名の明らかなのは、田村

花輪

)、太田佐吉

学校

毛馬内

学校

)、宮野勇次郎

大湯

学校

)、そして佐藤長三郎一

高屋

学校

)の四名である。

資金調達、経理、諸表作製などは雑務係が処理したので、学区取締は遅れている小学校の設立に専念した。