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四、教員養成
伝習学校・太平
学校の入学者
小学校の設立には、同時に多くの有資格教員を必要とした。六年八月、県は文部省に対し
師範学校設立伺を提出し、九月には伝習学校の名で授業生を公募した(
『秋田県教育
史・第一巻』
)。「一
十歳以上、五十歳以下、学業志行ある者を選び毎一大区十員つゝ差出申べき事」との布達
三四
に対し、鹿角からは川村左学(
二一
二一
)、折戸亀太郎
)、斎藤麟道
)が応募し、採用されている。
才
才
才
伝習学校の修業期間は三カ月間、授業に要する書籍・器械及び賄費等一切は官費で支給され、夜具だけ持参す
ればよかった。日々の授業は厳しいもので、読書等は漢学で鍛えた者にとって極めて簡単であったが、洋学算術
や物理・化学・博物などの教科には苦労している。伝習期間修了に当たっては厳格な試験があり、学力に応じて
仮免許状が与えられた。第一回修了生三九名中、川村左学四級、折戸亀太郎五級、斎藤麟道七級の免許状が交付
されている。
伝習学校入学志願者が地方に多かったことと、短期間に大量の教員を養成する必要から、本荘分校(〓
明六・一一
・二七
〓一)、
横手分校(
明六・一二
・一四
)、大館分校
明七・一一
・一四
)の三分校が設置された。伝習学校は七年五月二二日洋学校と統合
し、校名を太平学校と改めている。
鹿角郡の小学校二一校の教員二三名中、伝習学校卒業生は一三名、太平学校卒業生は一〇名である(
第四表
参照
また伝習学校卒業生中、秋田本校卒業は上記三名、大館分校卒業は大湯千葉熊太郎、尾去沢大森武七の二名で
他の八名については本校分校の別ははっきりしない。
)、
)。