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教員の再教育

伝習学校を卒業し仮免許状を受けた教員に対しても、再試験などの再教育が頻繁に行なわ

れている。七年六月に大館分校を卒業した大森武七(

又新学

校校長

)について、次の記録がある

(

)。

『秋田県教育史・第一

巻』一、〇二七ページ

女子教員の養成

本県平民大森武七四十九年六月

明治七年六月十日本県大館伝習分校に於て下等小学校卒業仮免許状を受く

明治七年十一月廿日下等小学第七等教員拝命

明治八年五月三十一日再試験済下等小学教員試補

明治十年一月中嘱任等外訓導補松谷学校校長となる。

八年七月三一日には小学校教員中から上等小学科伝習生を出すよう割当があり、二大区八名の推薦者中、鹿角

からは川村左学、折戸亀太郎が指名されている。

各村々の小学校において、女子の就学は極めて少なかった。七年の県全体の就学率は、男

丁二三・六二%に対し、女子はわずか二・五一%であった

「秋田県史)

・第五巻』』

)。

毛馬内学校では七年の開校時に女子の入学者がなく、翌八年になって小笠原イサ・岩船ます・石田とよの三人

が入学した。続いて山本なお・勝又とよ・近内えき、さらに山本とみ・大森ときが入学したが、いずれも一、一

年で退学している

『毛馬内小学校創立百

周年記念誌』昭四九年

。これは旧藩時代からの根強い男尊女卑思想と、女子は家事に当たるべき

で教育は無用との風潮によるものであるが、加えて女性の指導者が少ないこともその一因であった。

秋田県権令・石田英吉はかねてから女子教育の重要性を認め、九年一〇月太平学校に「女子師範伝習所」を開

いた。開設告諭では「其の教訓を簡にし、加ふるに裁縫の業を以てして、操行容儀に至る迄少女の模範となるべ