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革が指示されている(
『秋田県教育
史・第一巻
。そして同年五月、各町村役場、学区取締補、各小学校に趣旨の徹底方を通達
している。こうした中で、地方分権の教育令が発布されたのである。
教育令の主な内容は、次の通りである。
〓学区を廃し、町村あるいは数カ町村が連合して公立学校を設置すること(第九条
〓学区取締を廃止し、公選の学務委員に学校を管理させること(第一〇・一一条
〓学令期間は学則と同じであるが、その期間中最少一六カ月の普通教育を受けさせること(第一三条
〓公立小学校の学期を八カ年とし、これは三カ年
のち四
カ年
)に短縮できるが、一カ年に最低四カ月は授業を行うこと
〓学校に入らず普通教育を受けた場合でも、就学とみなすこと(第一七条)
〓資力の乏しい山間地では学校を設けず、教員の巡回授業によっても正規の授業とみなすこと(第一八条
教育令は自由教育令とも呼ばれるように、教育に関する権限を大巾に各町村の自由裁量に委ねるものであった。
また高等・尋常・村落のどの小学校を設立するかは町村の裁量にまかせられ、就学の督促も大きく緩和された。
しかし規則を緩めたことによって学制発布以来の努力が崩れ、就学児童の減少など各地で教育不振の現象が表面
化し、はげしい世論の非難を受けることになった。このため文部省では教育令施行一年後の翌一三年一二月一改
正教育令」を出さざるを得なかった。
改正教育令は学校の設立や就学の義務を厳しく規定し、学務委員の選任、教員の任命などに関する府知事県令
の権限を強化するものであった。また改正教育令の公布に基づき、一四年五月に教則の改正があった。これによ
り小学校は初等科三年・中等科三年・高等科二年の三等科となった。そして初等三年は国民一般が就学すべき段