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第四節学校令下の教育
一、学校令下の公布
各学校令の施行
一九年教育令は廃止され、新たに学校令が公布された。その制度の中心にあった初代文部
大臣森有礼は、富国強兵策を根幹とした教育改革が急務との考えに立っており、学校令も
その思想に基づいている。
勅令第
まず一九年三月二日に、勅令第三号をもって「帝国大学令」が、続いて四月一〇日「中学校令」
)及び
五号
「小学校令」
同第
一四号
号)が公布され、学校体系は大学を頂点とし、小学校、中学校の三段階に改められた。さらに
こうした学校の教師を養成するため「師範学校令」
同第
一三号
)も公布された。これらの学校令は、明治中期以降の
学校教育体系の基幹となっている。
小学校令は当初一六カ条の簡潔なものであったが、のち八章九六カ条に整備された。その第一条には「小学校
を分ちて高等尋常の二等となす」とあり、尋常・高等とも修業年限を四年とし、尋常小学科四年までの就学を父
母後見人の義務としている。
しかし財政困難の寒村僻村のため、修業年三カ年で毎日二~三時間授業の簡易小学科をもって、尋常小学科〓
代用することを認めた。従って学校令による小学校は、高等・尋常・簡易科の三科となった。