テキストを表示
二、教育勅語の発布
幼学綱要の下賜
二年、明治天皇の名により教学聖旨が示された。これは明治初期の洋化主義によって古
米からの良俗までが失われたとの認識に立ち、国民教育は仁義忠孝の儒教の精神によるべ
きことを述べている。
教学聖旨の精神をさらに徹底したのが幼学綱要で、これは儒教の徳目によって編まれた教訓書である。幼学綱
要は一五年一二月、地方長官会議において勅諭をもって下賜された。この会議に出席した石田秋田県令は、「明
倫修徳の要悉く備わり、今日の流俗を矯正するの尤も有益なる書籍」と感激し、その普及に努力した。
綱要は一六年三月には花輪小学校に伝達され、一七年六月までに郡内各小学校、分校、巡回授業所に至るまで
備えられた。県では「聊も御下賜の恩典に背戻せざるよう教導致し可く」云々と、徹底方を各学校に通達してい
る(
『秋田県史第五)
巻・明治編』
)。
教育勅語と御真影
二二年二月に大日本帝国憲法が発布されたが、教育においても国民教育の基本となる統
一方針を求める声が大きかった。そして翌二三年一〇月三〇日に「教育に関する勅語」
通称・教
育勅語
等)が公布され、以来五〇余年の長きにわたり我が国教育の大方針となった。
『元山小学校沿革誌』には、同年一一月二〇日に郡役所から聖旨を奉体せよとの訓諭があって勅語の奉読式を
挙げたことが記されており、その他の学校も一斉に奉読式や記念行事をもっている。
またこれを少しさかのぼる同年八月、初めて花輪小学校へ御真影
天皇・皇
后の写真
が下賜されている。他の小学校