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なお図画の高等小学用手本は男子用・女子用があり、さらに甲種と乙種に分れ、ほか幾何画法の教科書もあった。

その採用は各校の選択にまかせられていた。

戦時下の教育

〓府は日露戦争を未曽有の国難と断じ、国民に団結と忠誠を要求した。学校教育も同様であ

り、あまり多くはないが出征兵士の歓送迎や戦勝記念行事への参加の記録が残っている。

開戦にあたって最も懸念されたことの一つは、膨大な軍事費の調達であった。大部分は外国からの借款によっ

たが、国民に対しても勤倹貯蓄にはげみ、軍費献金や国債消化に応じることが求められた。『元山小学校沿革誌』

によると、その趣旨は校長を通じて次のように学校生徒に伝えられている。

六月二十日本年の紀元節拝賀式の際、校長児童に訓諭するに、露西亜国との外交破れ、既に干戈を交ふるに至れり

此時に当り、最も必要にして最も多額を要するは、軍事費なり。(中略)之が憂無からしむの途、如何せば可ならん

乃ち国民一致同心協力、勤倹貯蓄を以て之れを弁ずるあるのみ。是れ我々国民の本分にして亦皇恩の万一に報ずるの

端なり。諸子願くは諸費を節し寡小と雖も之れを蓄ひ、之れを積み、之れを献じて戦費の一助となさんことを心掛くべ

きを(後略)

この呼びかけに応じ、元山小学校では全校生徒五六名が三円九七銭余を集め、郡役所へ納めた。この金は正月や

彼岸に与えられたもの、父母の労を助けた賞与、学用品の購入を節約したもの等で、特に父母からもらって献金

した者は一人もいなかった、と記録されている。

叛時下、児童の勤労動員も頻繁に行われた。平元小学校では三六年五月四・五日、四ツ谷に杉苗一、三〇〇

本、他九五〇本を植樹し、三八年五月には三日間にわたり杉苗一万本を植林している

平元小学校百周年

記念誌』昭五一年

)。柴内・