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毛馬内・下川原・長谷川・宮麓の各小学校もそれぞれ数千本の学校林の造成につとめた。花輪小学校でも桐や桜
(『鹿角郡統計要覧』明治36~40年分により作製
義務教育の延長
の植林を行なっており、現在も一部残っている桜並木は当時植えられたものと言われている。
このほか生徒は出征兵士の歓送迎、遼陽・旅順・奉天等の戦勝祝賀の旗行列・提灯行列にも参加し、学校教苔
はまさに戦時一色に塗りつぶされていった。これは戦争終了後にも及び、『元山小学校沿革誌』』には四〇年に忠
魂碑建設のため寄附金を集めたことが見えている。この時は生徒
二円五二銭、職員五名分五六銭を集めて献金している。
日清・日露戦争を契機に、学令児童の就学率
が急速に高まってきた。二四年の就学率は男
子五九%、女子一〇%と極めて低かったが
第一〇
表参照
)、三〇年代に
入り就学率は画期的な延びを示した。三九年には男女平均で九三・
六%となり、これは全国平均九四・六%に近い水準である。
この要因には国民の自覚や、日清・日露戦役を経ての近代産業
の急速な発達が考えられる。さらに三一年、清国の賠償金の一部
をあて「市町村教育費国庫補助法」が定められ、尋常小学校の授
業料が廃止となったことも、その一因であろう。
二三年八月小学校令の改正があり、義務教育は四カ年に統一さ
れた。この時点で既に義務教育の延長が論議され、政府はすべて