テキストを表示

これにより、生徒の姿勢は明らかに良くなり、特に女子の裁縫時の姿勢は著しく改善されたとある。他の学校も

同様の改良・指導を行なったと思われる。

学校医の設置

三四年郡内に赤痢が大流行し、この時宮麓小学校では一〇~一五日、他の学校も五日程の休

校を行なっている

『八幡平小学校創

立百周年記念誌』

。こうした状況もあって、各校とも学校医の設置を見る

に至った。ただし花輪・毛馬内の両町はこれよりも早く、三一年の学校医設置細則公布と同時に学校医を設置し

いいたようである。花輪町では、二三年に東京医科大学卒業の大里文五郎を町医に迎えて町民の衛生管理にあた

らせており、三一年からは学校医を兼務させている

花輪町役場『明治四五~大正

二年緊要書類』市史編さん室蔵・

)。

文五郎は鋭意町民学童の健康管理にあたったが、特

に比較的等閑視されていたトラホーム撲滅に力を尽し

た。四一年、その功績を認められて国から表彰されて

いる(掲)

『前掲

書』

第14表郡市毎学校医設置状況

(明治33~41年『学事統計書』・『秋田県史第5巻』から

いる(

)。

秋田県士族大里文五郎

明治三十八年度より同四十年度に至る秋田県鹿角郡

花輪尋常高等小学校生徒トラホーム患者十二万六千

四百三十九人へ旋療候段奇特に付、其賞として金杯

一個下賜候事。