テキストを表示

佐々木文太郎が飛入り演説を行い、翌日郡役所に呼び出されて即日免職となったという(

鹿角の

あゆみ』

)。ただしこれ

を裏づける資料はなく、年代も前後するので確かではない。

教員の政治運動への参加は、自由民権思想の広がりを警戒する政府にとっては大きな問題であった。文部省は

一四年一二月に学校を政談演説や政治結社の集会、芝居寄席等に使用することを禁止し、さらに公衆を集めての

学術演説まで禁止している。また学務委員に対しては教育令第一二条に基づき監督を厳しくするようにとの内達

があった。

教育会設立

運動の再燃

こうした政府の取締りと、一八年の教育会に対する町村費支出禁止により、教育会の設立運動

〓自然消滅の状態にあった。しかし一八年一二月の内閣制度発足以来、各地に開設運動が再燃

した。秋田県では二〇年頃から活発な活動が開始されている。

鹿角においては、県全体にさきがけて二〇年春から運動が再燃し、有志教員がしばしば会合を重ねて教育会設

立の準備を進めた。同年一〇月一〇日、花輪小学校において郡書記の奈良正敬、毛馬内小学校長黒沢准治、大湯

小学校長豊口木曽弥、花輪小学校長源間友雄の四名が規則草案を作成し、創立総会を準備している。豊口木曽弥

の『鹿角学事会書類』(

奈良

所蔵

し)には「本月廿三日……花輪小学校内に於て集会を開き、此規則を議定するの予定。

此規則議定職員選挙の上、其向へ届出の事」とある。

この時一〇月二三日に設立総会を開く予定であったが、会長に予定していた郡長が出張で不在のため延期し、

一一月一三日にあらためて開催している。花輪小学校において開催された設立総会では会則を議決し、戸村義得

郡長を会長に選任した(

創立六十周年記念・花輪小学校

〓革史』『毛馬内小学校沿革誌

)。ただし他の役職員の名は不明である。