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期間は当初六カ月、のち九カ月となり、大正期には一カ年となった。また修了者は一カ年間は郡内に勤務するこ
とが求められた。
講師は、三一年に川村左学が委嘱された記録があるが、他は不明である。三四年には次の人々が講師に委嘱さ
れている(
)。
家文書
修身川村才太郎(場長兼務)
国語村山栄太郎
理科関友弥
教育奈良吉太郎(他教科は不明)
指導は、教科内容と教授法の二つについて行われた。高橋克三の記録綴
高橋
家文書
)によると、三五年五月に
修身、七月に読み方・綴り方・算術・教育の試験があった。教育の試験における高橋の教案は次の通りである。
修身科教案の一例(尋常科第二学年の積り)
教科謙遜
目的自負の心を押へ無用の言語を省き、沈黙の徳を守らしむるにあり。
〓皆さんは藤原敦親のことを聞いたれば覚えて居りませふが、如何なる人でありますか。
〓学問の広い人なれども、人にものを問はれて知らずと答ふること多い人でありました。
〓己れの知りたることをこと更人に示さんとし、遂に知らざることまでも知りたる風をする人を何と云ひます。
〓自慢する人と云ひます。
〓か様な人を皆さんはどんな人と思ひますか。