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一、金拾円賛成員小田島由義
一、金五円宛同大里寿、田村又右衛門、笠原秀夫、小笠原忠太郎、内田慎吾、根本五郎、勝又平太郎
、金三円宛同吉田清兵衛、佐藤要之助、奈良正敬、佐々木富八郎、山本幸蔵、正員内田清太郎
一、金二円拾銭本田延司外六名
、金二円宛賛成員川口理仲太、伊藤テル
小計六十九円拾銭
これらの収入は積立てられ、育英資金や会誌の発行にあてられた。
鹿友会の育英事業
一四年、会員数が順調に伸び収入も増えたため、一二月の例会で会則の一部を改正して
)。
正員三名以上の発議により、維持員三分の二以上の同意を得て、本会より応分の貸費
同会誌
を許すことあるべし」という一項を加え、鹿友会の資金を学資として貸与できるよう定めた
第二冊
第一回の学資貸与を受けたのは、第一高等学校在学中の川村竹治である。川村は一高から東京帝国大学へ進み、
卒業後官界へ入り内務次官、満鉄総裁、台湾総督を歴任し、昭和六年犬養内閣の法務大臣となった。まさに鹿友
会の育英事業が実を結んだといえよう。
また鹿友会の機関誌『鹿友会誌』は、二四年発行の第一冊から昭和一六年の第四三冊まで続いた。毎号数十ペー
ジ、会務報告や会員の動向のほか、随筆や文芸作品を掲載している。
鹿友会の活動は昭和一七年以降は不可能となり、終戦と共に自然消滅したが、鹿友会が鹿角の教育・文化振興
に果たした役割は大きく、県内にも他の例を見ない。