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一二月一日の第三回例会には郡役所から九名、小学校長等教育関係者二名の出席があり、以後の総会・例会に
は郡役所等から六~九名が参列している。これは郡長がこの会に期待し、後援を惜しまなかったことを窺わせる
ものである。
会則は二二年六月の第九回例会において可決されており、『郡誌』
明治二六年小田嶋由義・
編・小田島家文書
)に筆書されている。こ
れは会則作成に不慣れな婦人達のために、郡長が下僚に命じて起草させたものと思われる。内容は一五条からな
り、月一回の常集会の開催や、講演会、工芸品作製等をうたっている。
鹿角婦人会の事業
鹿角婦人会の事業の目的は、婦人の教養の向上と工芸の練磨にあった。また手芸やくく
り物などの伝統工芸の保存と、技術向上にも努めている。さらに日清・日露戦争におい
ては出征軍人の慰問や、戦没者家族の救援にもあたった。中でも二三年九月のトルコ軍艦遭難に対し弔慰金を贈っ
たこと等が目をひく。
教養講座もしばしば開催された。例えば二二年一月の第四回例会教養講座においては、三件の講話が企画され
ている。
〓風俗改良を希望す弁士川和田カ
弁士川和田カツ
〓東京川口氏(新斉)より贈られたる祝詞同奈良正敬(郡役所書記)
〓事を成すは剛勇の精神を要す
同小田嶋由義(郡長)
なお小田嶋郡長は毎例会に出席し、講話を行なっている。
また婦人会の経費は会費のほか、寄附金、工芸品の販売利益等で賄われた。二四年の決算報告は、次の通りで